東京大学在学中にオン・ザ・エッヂ(後のライブドア社)を設立し、時代の寵児と言われた堀江貴文さん(通称ホリエモン)。ライブドア事件に伴って逮捕された後も、実業家の才能を発揮し、多方面で注目を集めています。なにかと話題に事欠かない堀江貴文さんですが、妻はどのような人物なのでしょうか。
この記事では、堀江貴文さんのプライベートにスポットライトを当てて、結婚歴などを解説します。
堀江貴文1999年にできちゃった結婚
堀江貴文さんは、結婚に興味がなく、妻帯者になる予定がありませんでした。しかし、交際していた女性が子どもを授かったため、1999年に入籍。当時、堀江さんは、いち早くWebサイト制作・管理の代行業に着手したことで売り上げを伸ばし、忙しい日々を送っていました。四六時中トラブルの対処に追われ、やや精神的に不安定な状態に。それでも、結婚すれば気持ちが落ち着くのではないかと考え、3人家族用の自宅を都内に購入したのです。
妻からのプレッシャー
入籍した翌年、堀江さんは手がけていた事業が急拡大。1分1秒を惜しんで働かなければならず、常に張り詰めていました。心身ともに安らぐタイミングは、自宅で眠る時間だけでした。そのような状況下、妻は「もっと子育てに積極的に参加してほしい」と要求。堀江さんが週末に緊急の用事で出かけると、激怒していたそうです。
頻繁に些細な事柄で喧嘩
そもそも堀江さん夫婦は、互いの価値観や性格を考慮しないまま、妊娠をきっかけに勢いで結婚。20代半ばという若さもあり、冷静に話し合いの機会を持てませんでした。「私が通帳を管理して小遣い制にしたい」と妻が言えば、堀江さんは自分が扱っている莫大な金額を思い浮かべ、心の中で嘲笑。そして「無理に決まってるじゃん」と返答していました。
終始この調子で会話のキャッチボールを続けられず、後味の悪い喧嘩が頻繫に勃発。いつからか重苦しい空気が家の中に充満していたのではないでしょうか。
帰宅が苦痛に
新婚にもかかわらず堀江さんは自宅で過ごす時間が苦痛になり、ため息をつきながら帰途についていました。一方、妻は堀江さんの女遊びに寛容で、お金を払って女性と楽しんでくださいというスタンス。夫という存在に過度に期待せず諦めたような態度を目の当たりにし、堀江さんは理解に苦しんだのでしょう。自分たちが夫婦であり続ける意味はあるのだろうかと考えるようになりました。
約2年で終了した結婚生活
堀江さんも妻も、一度は一生涯にわたって添い遂げようと覚悟し、入籍から1年数カ月後に軽井沢で結婚式を挙げました。しかし、どれだけ話し合っても関係を修復できず、挙式から3カ月後に離婚。結婚生活が約2年で終了し、住んでいた家を購入時と同等の金額で売却しました。
https://twitter.com/NEWMAN_DAI/status/1874345465686434140
再びフリーになった堀江さんは結婚を人生の墓場と語っています。
堀江貴文の妻は誰?
元妻は、秋田県出身の一般女性。顔写真や詳細が公開されていないものの、堀江さんと同じ職場で働いていた社員ではないかという噂です。
https://twitter.com/takapon_jp/status/1747026537822757325
とあるインタビューにおいて、堀江さんは「メンヘラや多忙な人との交際は面倒」と答えていました。これを踏まえると、コミュニケーション能力に優れた才色兼備の女性が妻だったのではないかと推察できます。
有馬あきこさんとの関係は?
一時期、堀江さんの妻ではないかと噂されていた有馬あきこさんは、オン・ザ・エッヂを設立した学生メンバーの1人。ネットの黎明期にPCの知識が豊富だったため堀江さんと出会い、パートナーになりました。自身の父親の協力を得てオン・ザ・エッヂの事業拡大に成功したものの、堀江さんと意見のずれが生じ別々の道を進むことに…。しかし、どれだけ年月が経過しても、堀江さんにとって特別な人のようです。
堀江貴文の子供の人数
子どもは元妻との間に授かった1人だけ。堀江さんは父親になった実感が薄く、子どもへの思い入れも強くありませんでした。離婚時に、いっさい躊躇せず親権を元妻に譲り、子育てを全て任せました。18年間にわたる養育費の支払い義務を果たしましたが、子どもと面会していないのだとか。実業家として成功しながらも、子どもから尊敬される父親になる道のりは想像以上に険しかったのでしょう。
まとめ
堀江貴文さんは、約2年間かけて作り上げた家庭を捨て、この出来事を機に自分が結婚不適合者であることを自覚。幾度も美女との熱愛が報道されていますが、再婚する気配が皆無です。他方、今まで培ってきた人脈を駆使し、宇宙開発や予防医療活動など、さまざまな事業を精力的に展開しています。我が道を突進する性分のため、なにかに縛られない生き方を選んでいるのかもしれませんね。