元大王製紙代表取締役の井川意高さんは、現在YouTubeでも活躍されていますよね。最近井川意高さんを知ったという視聴者の方はどんな方なのか気になることもあるでしょう。
SNSでは井川意高さんの妻は元モデルって本当なのかなど疑問の声もありました。そして、井川意高の弟さんは現在何してるのか、生い立ちや経歴も併せて調査していきたいと思います。
井川意高の妻は元モデルって本当?
井川意高さんの妻はどんな方なのか気になる方がいると思うので、調べてみました。元モデルと噂されていますがどうなのでしょうか。
妻の名前は陽子さんで一般人?
井川意高さんの妻について調べてみたところ、陽子さんという名前だということが分かりました。元モデルさんで、現在は一般人のようです。素顔も公開されていませんでした。井川意高さん自身で奥さんのことについて「前にモデルやっていた」という話を発信していないので、本当にモデルだったのかは確信的ではありません。もし本当に元モデルさんだったとしたら、スタイルがよく、綺麗な方だということが想像できますね。陽子さんの所属事務所や掲載されていた雑誌なども調べてみましたが、残念ながら情報がありませんでした。
2025年現在は離婚している
ちなみに、井川意高さんが41歳の時に離婚をしています。離婚理由については、様々な噂がありますが、39歳の頃から家庭内別居があったようで、井川意高さんのギャンブルの問題や女性関係が原因ではないかと言われています。顔が広く多くの芸能人と交流する機会があったようで、中には有名な女性芸能人と関係を持っているとも言われていました。しかし、本当のところは当人同士にしか分からないことですので、なんとも言い切れません。
井川意高の弟は現在どうしてる?
井川意高さんには2歳年下の弟がいます。井川高博さんで2012年6月27日に大王製紙取締役を辞任しています。井川意高さんが辞任してから約1年後に大王製紙を辞められています。現在何のお仕事に就いているのか調べてみたところ、2015年から株式会社童夢のオーナーになっていることが分かりました。童夢とは、1978年に創業した自動車関連会社です。創業者は林みのるさんで、2012年まで社長として務めてきましたが、退任となりました。その後、林さんの友人が社長に抜擢されています。しかし、2015年をもって、大幅に業容を変えることとなり、7月に井川高博さんがオーナーとして就任しました。
井川意高の生い立ちを紹介!
井川意高さんはどのような環境で生まれ育ってきたのでしょうか。SNSでは、「頭がいいのは小さい頃から勉強を教えてもらってきたんだろうな」や、「どんな環境で育てられてきたんだろう」と、井川意高さんのことについてもっと詳しく知りたいという方が多かったです。井川意高さんの生い立ちを知れば、また違う見方で応援できるのではないでしょうか。
そこで、簡単にまとめてみましたので見ていきたいと思います。
井川高雄の長男として産まれる
井川意高さんは、京都府京都市で、大王製紙の2代目取締役代表である井川高雄の長男として産まれました。井川高雄さんといえば「大王製紙の中興の祖」と称賛されています。リーダーシップもあった父親から産まれた井川意高さんも期待されていました。
引っ越しを頻繁にしていた
産まれてから小学校に入学する前までアメリカに住んでいたことが分かりました。入学する前に帰国し、一時期大王製紙の本拠地である愛媛県伊予三島市で過ごすことになります。愛媛県の小学校に入りましたが、途中から家族と一緒に東京都に引っ越しをしたそうです。
小学校は、渋谷区立神南小学校に転入し、それからはずっと東京で過ごしていました。
勉学に励む毎日
井川意高さんは、勉学に対して前向きに一生懸命取り組んでいたそうです。筑波大学付属駒場中学、高等学校に進学し、東京大学法学部第2類に見事合格し、卒業を果たしたのです。
調査してみたところ、小学校4年生の時には全国模試で全国2位という結果をとったそうです。塾や家庭教師を付けていたのかと思いきや、自分自身の力で学んでいたというので驚きですね。しかし、もっと勉学に励んでもらおうと大王製紙の優秀な社員に勉強を教えてもらっていたこともあるといいます。その努力が実り、偏差値77の筑波大学付属駒場中学、高等学校に入れたという訳ですね。
井川意高の経歴は?
井川意高さんはどのような流れで大王製紙の代表取締役になったのか知らない方もいると思います。そこで、井川意高さんの経歴について簡単にまとめてみました。
1988年4月 | 大王製紙に入社 |
1998年6月 | 大王製紙の副社長に就任 |
2006年4月 | 名古屋パルプで1年間社長を務める |
2007年4月 | 大王製紙第5代社長に就任 |
2011年6月 | 会長に就任 |
2011年11月 | 会長を辞任 |
東京大学法学部卒業後に大王製紙に入社
井川意高さんは、東京大学法学部2類を卒業した後、大原簿記学校で1年間勉強をしています。学んだ後に代々受け継がれる大王製紙に入社をしました。三島工場次長や常務、専務と10年間に渡り昇進していき、1998年に副社長になることが出来たのです。
代表取締役に就任
2006年には、大王製紙の子会社である名古屋パルプで社長として1年間務めたといいます。これまでの取引先との関係や、ブランド戦略と高く評価され、2007年に大王製紙の社長そしてさらに2011年に会長に就任するなど、様々な方に認められてきました。
入社してから約23年間で会長になれることは誰にでも出来ることではないので、尊敬します。
会社のお金を不正利用し辞任
会長になった5ヵ月後には会社のお金を不正に引き出し、カジノに使い込んでいたことが発覚して辞任することとなります。会社の大金を動かしていたことで、決して許されないことをしたのです。井川意高さんは、刑事告訴され、逮捕されてしまいましたが、出所後はYouTubeで活動をしています。
まとめ
今回は、井川意高さんの妻は元モデルなのかについてと、実の弟である井川高博さんは現在どうしているのか気になる方がいたので、調べてみました。井川意高さんの妻は一般人ということもあって情報はなかったのですが、元モデルさんだということは本当のようですね。弟の井川高博さんも大王製紙を辞任してからお仕事先が見つかってよかったと心から思います。