世界ふしぎ発見!に村雨辰剛さんが出演ですね。
今週の #世界ふしぎ発見!は…
世界が注目!👀
北陸が生んだ伝統美👘こんな時勢だからこそ、日本の魅力を再発見❗
日々の営みが育んだ
北陸4県の【用の美】の神髄に迫る✨#ふしぎ発見#北陸#石川#富山#新潟#福井 pic.twitter.com/EyZoHxELAG— 世界ふしぎ発見! (@fushigi_hakkenP) September 7, 2020
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伝統美!日本の文化というテーマの番組に、村雨辰剛さんという異色の庭師がでてて、魅力的ですね。
伝統美を、海外にルーツを持つ方が伝えるというのは、違った観点から見れて面白いですよね。
村雨辰剛さんって何者なんでしょうか・・・。
見た目だけで言うと、日本人ではないですが、気になるところは、村雨辰剛さんの国籍や家族など両親の国籍ではないでしょうか・・・。
他にも、
なぜ日本に来たのか?
移住してきたのか?
名前は本名なのか?
なぜ庭師になったのか?
などなど、知りたいことはいっぱいあります。
この記事では、
- 村雨辰剛さんの両親や家族の国籍について
- なぜ村雨辰剛さんは、日本に来たか?
- なぜ、日本で庭師になったのか?
についてまとめました。
村雨辰剛の両親や家族の国籍は?
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村雨辰剛さんの家族は日本人なのでしょうか・・・?
村雨辰剛さんの出身地は、スウェーデンのスコーネのMuskellungです。
村雨辰剛さんの家族も両親も、スウェーデンのスコーネMuskellungeに住んでいます。
村雨辰剛さんは、スウェーデンの下の方のデンマークに近いところに住んでいたんですね。
村雨辰剛さんの両親は、離婚していて、実母と義父に育てられました。
離婚したからといって、家族の関係性が悪いというわけではなく、義父は真面目で正義感があり、尊敬する憧れの存在と語っていますし、実父は頑固で自由な生き方をする人らしいですが、隔週末会っていたらしいです。
幼い頃は、日本とは無縁の生活をしています。
普通にスウェーデンで生まれ育ち、スウェーデン国籍の、スウェーデン人の両親に育てられたということです。
ですので、実母、実父、義父も日本人ではなく、スウェーデン国籍の方です。
村雨辰剛の国籍や本名は?
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村雨辰剛さんの国籍は、もともとスウェーデンでしたが、今は日本になっています。
2015年の26歳の時に、スウェーデン国籍を日本国籍に変えています。(帰化)
つまり、村雨辰剛さんは日本人ですね!
村雨辰剛さんの日本の名前は、意味があるそうです。
日本名の「村雨」は、親方の父親の名前であり、作家の村雨退二郎に由来し、『南総里見八犬伝』に登場する架空の日本刀の名称が「村雨」であることにも由来する。また、「辰剛」の「辰」は辰年生まれであることに由来し、「剛」は親方の名前に由来する。
「村雨辰剛」という名前は、庭師の親方に弟子入りして修行をしたときにもらった名前なんですね。
自分で、自分の名前を付けるというのは、抵抗があり、親方に頼み込んで、名前を付けてもらったみたいです。
ですので、落語家みたいに名前を襲名するとか、そういう名前のもらい方ではなく、尊敬する師匠に付けてもらった名前ということですね。
親方といい関係性なんだなーと思わせるエピソードですね。
では、スウェーデンの名前(本名)についてですが、
スウェーデンの名前はヤコブ・セバスティアン・ビヨーク(Jakob Sebastian Björk)さんです。
名前も国籍も変えるって、すごい決断ですよね。
こういう場合って、パスポートとかどうなるんでしょうね・・・。
村雨辰剛が日本に来た理由
村雨辰剛さんが日本に来た理由は、「日本の歴や文化が好き!!」これに尽きると思います。
日本に知り合いがいるとかでもなく、今仕事とする庭師になるためでもなく、ただ純粋に日本が好きだったみたいです。
中学の世界史の授業で、お友だちの発表した日本についての内容に興味を持ち、歴史や文化について調べていきました。
スウェーデンの郊外に住んでいたためか、スウェーデンとは違う文化、言語のところに行きたいという冒険心があり、日本に住みたいと思うようになったようです。
特に、日本の歴史の戦いの作法に興味があったみたいで、島国で他の国とは違う独自な文化に魅力を感じたようですね。
16歳で日本にホームステイを経験した後は、日本に行くことだけを願って、準備を始め、そのころから日本に帰化しようと思っていたそうです。
村雨辰剛さんが日本に来た理由は、村雨辰剛さんが日本に魅了された!この一言ですね。
村雨辰剛が日本で庭師になった理由と経緯
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村雨辰剛さんは、日本に憧れてきたので、庭師になりたい!という理由で日本に来たわけではありません。
日本に来てしばらくは、語学講師として日本に住み、実際に生活をして、日本文化に慣れていったと言います。
やっぱり、旅行や観光で日本文化に触れるのと、実際に住んでみて、現在の日本のルールや現在の日本文化になじむのは、また違いますもんね。
日本の生活スタイルは、毎日のスケジュールが忙しく、よく海外の人は日本人は疲れた顔をしていると言いますよね。また、本音と建て前などの独自の文化は、びっくりするポイントだと思います。
しばらくは、語学教師として、生計を立てていたそうですが、東日本大震災がきっかけで、一時帰国することに。
帰国をきっかけに、語学教師を辞めていたので、日本でどう生きていくか考えるきっかけになったそうです。
結論は、やっぱり日本に住みたい!日本で働きたい!と、日本伝統にかかわる仕事を探し始め、日本の伝統に携わる仕事として日本庭園の造園の仕事を見つけて、アルバイトから始め、本格的に仕事とするために、現在の親方(加藤剛)さんの弟子になったようです。
まとめ
「村雨辰剛の両親や家族の国籍は?日本に来て庭師になった理由も!」というタイトルでお伝えしました。
村雨辰剛さんの、ご両親や家族は、日本に関係のある方ではなく、スウェーデン国籍の方でした。
村雨辰剛さんは、生まれも育ちもスウェーデンで国籍もスウェーデンだったんですが、日本の魅力に魅了され、国籍を日本に変えています。
日本文化を愛するあまり、日本伝統にかかわる仕事として庭師になり、名前も尊敬する師匠に付けてもらい、完全に日本人になっています。
村雨辰剛のこれからの活躍が楽しみですね。