来年の箱根駅伝2022で期待されている、近藤幸太郎(こんどうこうたろう)選手。
次のことをまとめています。
- 近藤選手(青学のエース)の中学は豊川市立代田中学校
- 近藤選手(青学のエース)の高校は、愛知県立豊川工科高等学校
- 近藤選手(青学のエース)の高校時代の成績は東海総体に出場
近藤幸太郎(青学のエース)の中学や高校はどこ?
近藤幸太郎選手(青学のエース)の中学や高校はどこか調べました。
中学や高校でも活躍していたのか気になりますし、中学や高校からマラソンが強い学校なのか気になったのでまとめました。
男子 5000m決勝
🥇近藤幸太郎 青山学院大 13:46.98
強い。#90日本IC pic.twitter.com/ruYUyGlYvt— EKIDEN News (@EKIDEN_News) September 19, 2021
近藤幸太郎の中学校
近藤幸太郎選手の中学校は、豊川市立代田(とよかわしりつだいだ)中学校です。
豊川市立代田中学校
〒442-0841 愛知県豊川市代田町1丁目20−1
豊川市立代田中学校は普通の公立中学です。
近藤幸太郎さんは、公立中学に行きながら、学校のクラブ活動をするのではなく、学校外のクラブチームに所属していました。
クラブチームの名前は、『TTランナーズ』です。
つまり本気でマラソンをされていたということです。
豊川市立代田中学校の校訓は、「共につくる喜び」。
教育方針には、「心身ともに健全でねばり強くがんばり抜く生徒を育てる。」とあります。
箱根駅伝は、協力して走る競技ですよね。
ねばり強くがんばり抜くという点も、駅伝らしいと感じます。
学校内でのクラブ活動に参加していたわけではないですが、マラソンに力を注げる環境が中学にあったのかもしれません。
また、豊川市立代田中学校は、いじめの防止についても力を入れていて、口コミも良い学校です。
口コミにもいじめはないようですと、書かれています。
子供達は楽しくて、積極的に通う中学といった印象です。
近藤選手は、中学校で協力することや粘り強さを学びましたね。
豊川市立代田中学校は、部活に力を入れています。
豊川市立代田中学校の出身者は、サッカーの菅原由勢(すがわらゆきなり)選手。
菅原由勢選手は現在、AZアルクマールで活躍しているサッカー選手。
近藤幸太郎選手にとって、菅原由勢選手は同級生であり親友です。
近藤幸太郎選手は、県外の中学校からも通う程の有名なチームで、中学校にいた時から駅伝に向いている体作りをしていました。
実力の高い人に囲まれて、近藤選手は足を鍛えていったのでしょう。
近藤幸太郎選手の中学校は、豊川市立代田(とよかわしりつだいだ)中学校で、クラブ活動をしていたのではなく、学校外のクラブチームに所属して練習をしていました。
近藤幸太郎の高校
近藤幸太郎選手の高校は、豊川工業高校です。
近藤 幸太郎(2年)豊川工業
公式HPスポーツ報知
豊川工業高校は現在、愛知県立豊川工科高等学校に名前が変わっています。
愛知県立豊川工科高等学校
豊川工業高校は、駅伝に強い高校です。
駅伝の強豪・豊川工業高校(豊川市)
公式HP中日新聞Web
豊川工業高校出身の選手には、安藤悠哉選手がいます。
安藤悠哉選手もまた、駅伝の初勝利に貢献した選手です。
2015年1月の箱根駅伝のアンカーとして10区を走り、チームの初優勝に貢献する。3年生では箱根駅伝のメンバーには入らなかったものの、主将を任された4年生の17年の箱根駅伝では再び10区のアンカーとしてチームを優勝に導く。
公式HP WWDJAPAN
安藤悠哉選手は現在、ニューバランスジャパンで営業として働いています。
豊川工業高校にも営業にいったのですが、契約をしてくれたエピソードがありました。
安藤:今年(18年)の夏、僕の母校の豊川工業高校(愛知県)でした。今の監督さんは僕の恩師ではなく、僕が高校のときの教育実習生の方でした。互いに覚えていたのですぐに仲良くなって、「僕の最初の契約先になってください」とお願いしました。部員は15人くらいですが、後輩たちの役に立てたらこんなにうれしいことはありません。
公式HP WWDJAPAN
豊川工業高校は、選手と監督の関係が良いと感じました。
すぐに安藤悠哉選手は監督とすぐ仲良くなったと話しています。
選手と監督の関係が良いので、近藤幸太郎選手は高校で力を伸ばしていったのでしょう。
近藤幸太郎選手は、豊川工業高校時代毎年顧問が入れ替わったと語っています。
豊川工時代は3年間で毎年顧問が入れ替わる環境を経験。「強豪校ではない分、先生と相談しながらメニューを組んだり、自分で考えて、体と相談しながら、さじ匙加ができるようになったと思います」と、選手によってはマイナスになりかねない状況でも、近藤は自身の成長につながっていると感じている。
公式HP 月刊陸上競技
監督が毎年変わる環境は、珍しいですよね。
3年かけてお互いを理解していくと思うので、大変な経験だと考えられます。
毎年監督と密に相談しなければいけませんでしたから、より絆は強くなったことでしょう。
当時、豊川工業高校は駅伝の強豪校ではなかったようです。
近藤幸太郎選手の高校は、豊川工業高校でした。
近藤幸太郎(青学のエース)の高校時代の成績は東海総体に出場
今日の一言は近藤幸太郎です。
レベルの高い組織にいることで、自分の力に劣等感を抱くことがあると思います。
焦りや一時の感情で無駄な練習をするのではなく、自分が何を目標にしているのか、何を達成したいのかを考え、目標の実現のために必要な努力をしていきましょう!#青学駅伝#深緑の襷 pic.twitter.com/RGsbiCmr0y— 青学大陸上競技部(長距離ブロック) (@aogaku_rikujyou) November 23, 2021
近藤幸太郎選手(青学のエース)の高校時代の成績は、東海総体5000mで3位です。
近藤幸太郎選手は高校2年生の時、東海総体に出場しました。
東海総体で3位になったことで、近藤幸太郎選手は青学に誘われています。
箱根駅伝2022への道は、高校から現実になってきたようです。
「自分の中でも高校時代で一番印象に残っているレースです。正直3番に入れるとも思っていませんでしたが、それが青学大に誘われるきっかけとなりました。声をかけられたときはずっと憧れだったので、本当にうれしかったです」
公式HP 月刊陸上競技
箱根駅伝2022に出場する近藤幸太郎選手。
近藤幸太郎選手は、青学に誘われたことが高校時代で一番心に残っていると語っています。
何故嬉しかったのか、それは中学の頃から青学に憧れていたからです。
青学大が当時活躍し始めた頃で、格好良くて、自分もあのチームに入れたらと思っていました
公式HP 月刊陸上競技
青学は、駅伝で有名ですよね。
近藤幸太郎選手は中学の時から、青学の選手を恰好いいと思っていました。
中学のころから、箱根駅伝2022を夢見ていたのでしょう。
近藤幸太郎選手(青学のエース)の高校時代の成績は、東海総体5000mで3位でした。
まとめ
近藤幸太郎選手の中学校は、豊川市立代田(とよかわしりつだいだ)中学校です。
協力することや粘り強さを、中学校で学びました。
近藤幸太郎選手の高校は、豊川工業高校です。
選手と監督の関係が良いので、高校で力を伸ばしていったのでしょう。
近藤幸太郎選手(青学のエース)の高校時代の成績は、東海総体5000mで3位。
青学に誘われたことが高校時代で一番心に残っていると語っています。
箱根駅伝2022が楽しみですよね。
近藤幸太郎選手の活躍に期待が高まります!