バレーボール東京五輪女子代表12人が発表され、中田監督が涙ながらに会見したことで話題ですが、中でも特に注目なのが籾井あき選手です。
今回初めて代表に選ばれており、20歳という若さながら「中田二世」と期待がかけられる籾井あき選手とは?
「籾井あきは中学校でバレーを辞めていた事実!高校やバレー歴も調査!」というタイトルで調べてみました。
籾井あきは中学校でバレーを辞めていた事実!
籾井あき選手は小学2年生でバレーを始めています。
本当はテニスがしたかったそうですが、家から通える近所にはなかったので小学校で行われているバレーボールクラブに入部することにしたそうです。
週に6日のきつい練習は、今も思い出したくないほどだとか。
かなり本格的なクラブチームに入ったんですね。
週6日練習はきついと思います。
周りの友達が放課後遊んでいるのを見ると羨ましかったと話しています。
5年生の頃にはレシーバーからセッターになり、レギュラーとして活躍します。
6年生には市の大会で上位に入るようになり、個人で市の選抜に選ばれるまでに!
しかしその一方で「バレーボールは嫌だ」という思いが常にあったそうです。
やっぱりテニスがしたかった気持ちが消えなかったのもあるでしょうし、遊びたい盛りの小学生が、毎日バレーボール漬けなので、嫌だという気持ちが芽生えてもおかしくないですよね。
また、小学校高学年ともなると、自分の考えもはっきりしてきて、いろんなことをやってみたいと思ったのかもしれないですね。
中学校は、地元・神奈川県の相模原市立中央中学校に入学しました。
中学校入学時から声は掛っていたものの、小学校の時にバレー漬けだったのもあるかもしれないですが、バレーボールが嫌になり始めていたのもあって、部の方針が合わないという理由でバレーボールから離れてしまいます。
そしてクラフト部に入部。
まさかの文化部!
手芸なども好きだったんですね。
籾井あき選手が中学校でバレーを辞めていた理由は、小学校の時に、バレー以外のことをあきらめてきたトラウマかもしれませんね。
ですので、中学校ではいったんバレーを辞めて個人的にテニスもやるようになったりと、小学生の時に羨ましく思っていた自由な時間を過ごそうと思ったのかもしれません。
厳しい練習に耐えてきた分、抑えていたものが爆発したかのような…。
中学のバレーボール部の方針が合わないと思うなんて、バレーに対する見方がシビアになっていたのかもしれません。
籾井あき選手は、中学生ながら、しっかり見極めていたところがすごいですよね。
でも、中学時時代には、バレーボールにずっと離れていたわけではなく、バレーボールの顧問が変わった3年生の時から、またバレーボールを再開します。
やっぱり、バレーが好きなんですね。
でも、バレーボールから離れる期間があって、籾井あき選手にとって貴重な時間だったのかもしれません。
その結果、バレーから離れていたにも関わらず、県大会でベスト16にまで進出しました。
そして個人でも、JOC(全国都道府県対抗中学バレーボール大会)の代表に入り優秀選手に選ばれます。
籾井あき選手は、中学校でバレーを辞めていた2年のブランクは、いい充電期間になったようですね。
才能としか言いようがありませんね。
籾井あきの高校はバレーの名門の八王子実践高校!
籾井あき選手の高校を調査しました。
籾井あき選手は、中学3年のバレーの功績により、ある高校からスカウトがかかります。
実は高校でも、バレーボールを続ける気はなかったそうで、地元の高校で普通の学生生活を送ろうと思っていたそうなんです。
でも、バレー名門の八王子実践高校からの熱烈オファーに負けて、高校は八王子実践高校に入りまたバレーをすることに!
八王子実践高校といえば、バレーボールの超名門です。
全国優勝12回、春高バレーの出場回数も優勝回数も全国上位に入る東京都の強豪校。
1年生からスパイカーとして試合に出場し、正セッターの怪我により2年生でセッターへ転向しています。
全国優勝をするような高校で、1年から試合に出て、さらに、セッターの怪我の代わりに2年生からセッターに転向するって、籾井あき選手のレベルがすごかったんですね。
籾井あき選手は、海外の選手の動画を見て動きを研究したりしていたとのこと。
練習するだけではなく、どんな動きをしたら勝ちに繋がるのかを考えていたんですね。
バレーを辞めたいと思っていたのは裏腹に、バレーがかなり好きですよね!
その甲斐あって、1、2年ではベスト8でしたが、3年で3位になっています。
自身は緊張しないそうですが、後輩の緊張をほぐす為コミュニケーションを綿密にすることで、最後の春高バレーを普段通りプレーすることができたそう。
高校最後の試合は準決勝で敗退となりましたが、最後まで諦めないで戦う気持ちが団結を生み、悔いのない試合が出来たんですね。
八王子実践高校は寮生活が厳しいことでも知られ、高校の3年間は練習よりも寮生活が辛く、何より家に帰りたかったと話しています。
食事の量が多く、食べ終わるまで食堂から出られない為、最初の頃は一番遅かったのだそう。
体力勝負ですから体を作る食事は重要ではあるものの、山盛りご飯には面食らってしまったんですね。
週に一度のお休みに、実家に帰ってゆっくりご飯を食べて、ゆっくり寝るのが何よりの癒しだったと語っています。
15歳で親元を離れたとなると、実家に帰れる時間がとても楽しみで重要だったことでしょうね。
その後高校3年生でJTマーヴェラスに内定、入団。
開幕戦からスタメンに選ばれ、ベスト6にも選出されました。
入ったばかりでベスト6というのも凄いですよね。
翌シーズンに天皇皇后杯で優勝、リーグ連覇と優勝に貢献しています。
「私たちなら勝てる」「大丈夫、やれる」という気持ちが強かったと語っているので、練習に裏付けされた自信と、チームメイトとの結束が優勝を後押ししたのでしょうね。
バレー一筋の籾井あき選手はハーフでなクオーターなんですよね。
籾井あきのバレー歴を調査!
籾井あき選手のバレー歴は、すごく長いですよね。
- 小学校2年生からバレーを始めて、みっちりクラブチームで練習
- 中学校は2年間のブランクがありながらも、3年生では活躍
- 高校では、名門「八王子実践高校」で寮生活を送りながら、春高バレーで3位
- 高校3年には、JTマーヴェラスに入団
- 2021年東京オリンピックの選手に選ばれる
籾井あき選手のバレー歴はすごいですよね。
小学校以降、バレーを辞めていた時期は、中学生の2年間だけで、バレー三昧ですよね。
途中、テニスやクラフト部に寄り道しましたが、やっぱり根っからバレーを好きでないと、ここまでできないと思います。
籾井あき選手のバレー歴を見るとさらに応援したくなりました!
やっぱり頑張っている人は素敵です!
籾井あきは中学校でバレーを辞めていた事実!高校やバレー歴も調査!まとめ
「籾井あきは中学校でバレーを辞めていた事実!高校やバレー歴も調査!」という内容でまとめました。
- バレー歴は小学2年から。
- 中学入学で一度辞めて3年生から再開している
- 高校はバレーの名門、八王子実践高校
- JTマーヴェラスに入団しVリーグ連覇
女子日本バレーボール代表に初選出された籾井あき選手。
8年待ったと言われる日本女子バレーの名セッターとして、チームの司令塔として、活躍に期待したいですね。